その日、工場奥のパソコンの前でデザインの打ち合わせ中だった。突然の物凄い衝撃にお客様と窓から脇道へ飛び出した。南側の広い道路には近所の人も出てきて「大変だー」「物凄かったね?」などと話しながら工場へ戻ると、完成したばかりの大型看板が自社の4トントラックに倒れかかっていた。
看板もトラックのドアも損傷し、多少の工具や材料の飛び散りもあったが他には大したことはなかった。帰宅しテレビを付けると息を飲む光景が映し出されていた。巨大な津波で家や車が流されているではないか・・・
その後は原発が次々と爆発、被災し避難を余儀なくされた方々の地獄の苦しみを思う。
この事態でメルトダウン、トリチウム、プルトニウム、シーベルト、燃料デブリ、計画停電など、多くの言葉を知ることになった。
ここ南関東にも放射性プルームが近づくと聞き、本気で南へ移住しなければならないなどと話題になっていた。
当社は計画停電に基づき作業していたが、ある日、電動ミシン鋸の作業中にパタッと止まったので今日はこれで終了だと帰宅した。その夜、工場の隣家から機械の音がしていると連絡をもらい、停電の解除とスイッチの切り忘れに気づき、夜遅く車で15分の工場まで消しに行く羽目になったことを思い出す。
それから社会問題にも関心を持ち反原発の集会やデモに参加するようになった。
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